せめて鮮やかに その身を終われよ… [トピックス]
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谷村新司さん死去 「来年アリスで復帰」を望み闘病中だった フォークグループ「アリス」のメンバーとして人気を博し、ソロでもヒット曲「昴―すばる―」を発表するなど日本の歌謡界をけん引した歌手で作詞、作曲家の谷村新司(たにむら・しんじ)さんが8日、死去した。74歳。葬儀は近親者で営んだ。 大阪府出身。高校時代からアマチュアバンドで活動し、桃山学院大に入学したが中退。71年、堀内孝雄さんと共に「アリス」を結成し、ボーカル、ギターを担当した。翌72年にデビュー曲「走っておいで恋人よ」を発表後、矢沢透さんが加入。「今はもうだれも」「帰らざる日々」「冬の稲妻」「涙の誓い」などのヒット曲を放った。 また1人、大御所アーティストが天国へ旅立った。 今年は、1月に元YMOの高橋幸宏さん、ロックバンドのシーナ&ロケッツの鮎川誠さん、3月には坂本龍一さんと、1970年代から活躍していた人気ミュージシャンが亡くなっていたが、谷村さんまで逝ってしまった。 |
【つづき】
「チャンピオン」は1979年、第21回日本レコード大賞作詩賞を受賞。谷村さんは「チンペイ」、堀内さんと矢沢さんはそれぞれ「べーやん」「キンちゃん」の愛称で親しまれた。「アリス」は1981年に活動を停止後、幾度かの再始動と停止を経て、昨年に活動50年の節目を迎えていた。 |
個人でも多彩な活動を展開。山口百恵さんが1978年に歌った「いい日旅立ち」を作詞、作曲した。1980年には「昴―すばる―」を発表。1992年の「24時間テレビ」(日本テレビ系)では生放送中に、加山雄三さんと番組のエンディングで歌われる「サライ」を制作した。NHK紅白歌合戦には「アリス」と個人で計19回出場した。 音楽以外でも、ラジオ番組「セイ!ヤング」「MBSヤングタウン」でのトークが人気に。民放テレビのバラエティー番組で司会を務めたほか、歌う姿をお笑い芸人にものまねされるなど、お茶の間の人気者だった。 海外各地でも音楽活動を続け、ロンドン交響楽団やウィーン交響楽団と、日本の歌謡歌手では異例の共演を果たした。2004年には中国の上海音楽学院の教授に就任した。 2013年に芸術選奨文部科学大臣賞、2015年に紫綬褒章。1993年の第65回選抜高校野球大会、2018年の第90回記念選抜大会の入場行進曲になった「今ありて」を作曲した。2007年以降、毎日新聞社の小児がん征圧キャンペーン「生きる」のチャリティーコンサートに登壇。昨年も東京・渋谷でステージに立ち「昴―すばる―」などを披露していた。今年春、急性腸炎のため入院。6月から「アリス」の全国ツアーが開催予定だったが、延期が発表されていた。 |
~ 出典:毎日新聞 ~ |
谷村新司さんの主な作品 |
(かっこ内は提供曲を歌った歌手) |
1972年…「走っておいで恋人よ」 1976年…「帰らざる日々」 1977年…「冬の稲妻」 1978年…「いい日旅立ち」(山口百恵)、「チャンピオン」 1979年…「陽はまた昇る」 1980年…「昴―すばる―」 1981年…「群青」 1992年…「三都物語」「サライ」 2012年…「風の子守歌~あしたの君へ~」 2015年…「北陸ロマン」 |
2023-10-16 18:55
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